野菜ソムリエの思ひ出の味
祖母から伝わる“始末”の白菜料理

2017年4月5日UP
 白菜が旬を迎え、たくさんの白菜を漬け込む頃、我が家の食卓に必ず登場するおかずに「白菜と肉団子」と呼ばれる料理がある。大きな鍋にしょうゆ風味のスープを煮立て、ざく切りにした白菜、子どもでも一口で食べられる大きさに丸めた豚ひき肉の団子、最後に春雨を入れて煮込み、春雨がおいしいスープを吸ったら出来上がりだ。寒い冬の食卓で、もうもうと湯気の立ち上る「白菜と肉団子」は、体の芯まで温まる我が家の冬の「祖母の味」だった。

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 白菜は、白い芯の部分まで柔らかくトロっとしていて、葉の部分はクタクタに。春雨はおいしいスープを吸って少し太くなっている。肉団子は片栗粉をまぶしてツルンとしている時もあれば、そのまま入っている事もあった。少し深めの皿に、白菜と春雨は菜箸で、肉団子とスープはお玉でよそわれたので、肉団子が均等にいき渡らないこともある。今では笑い話だが、末っ子の私は、肉団子の数が二人の兄と同じでないと「私の方が少ない!」と泣いたこともあった。皆がおかわりをするほど家族全員が大好きな料理だったが、時には食べきれずに残る時もあった。次の日の朝食で出されたが、残り物という感覚はなく、むしろまた食べられて嬉しかったように思う。肉団子はたいてい残っていなかったが、スープを吸って太った春雨を冷えたまま、炊きたての熱々ごはんにのせて、がーっとかき込んで食べるのが楽しみだった。「何ですか! 女の子がお行儀悪い…。」と母に叱られたことも懐かしい思い出である。
 今では一度に大量の白菜を漬けることは無くなったが、冬になると必ず母に「白菜と肉団子」を作ってもらっている。母が作ると祖母の味になるのだが、私が作ると私の味にしかならないのだ。まだまだ修行が足りないようである。

 大人になって、「白菜と肉団子」は「始末の料理」だったことを知った。実家では冬になると大きな樽で沢山の白菜を漬けていて、4つ割にした白菜の切れ端や外側の傷んだ葉が大量に出ていた。それを集めて煮込んだ料理だったのだ。レシピのルーツは中華料理の「獅子頭鍋」で、横浜から嫁いだ祖母が中華街の味を家庭料理風にアレンジしたものだったという。子どもの頃から食べ慣れた味に、そんな歴史があったとは思ってもみなかった。
 以来、フードロスの話題が出るたびに「白菜と肉団子」を思い出す。店頭で、新しい品種や珍しい野菜、走りの果物などを見つけると「野菜ソムリエの勉強のため…」と、ついつい買ってしまい、帰宅後に「こんなに買って、食べきれるの?」と後悔することがある。野菜ソムリエとしては、様々な野菜・果物の知識はもちろん必要だが、食材の魅力を十二分に引き出す調理方法や意外な食べ方など、始末のことまで含めて、もっと一つの食材とじっくり向き合うことも大切であろう。

 さて、私が野菜ソムリエになったのは、農家さんたちと一緒に新しい集落の計画をすることになり、少しでも農業や野菜のことを勉強したいと思ったのがきっかけだった。
 試験に合格して「私、野菜ソムリエになりました。」と報告すると、「野菜の作り方もまともに知らんがに、こわくさいの…。(野菜の作り方も良く知らないのに、生意気な…)」と笑いながら言われたが、「これ、知っとるか?」と言っては珍しい野菜や新しい品種の野菜などを持って来てくださるようになった。あまり知られていない生産農家の食べ方を教えてもらい、あまりのおいしさに、野菜のことをもっと知りたいと思うようになった。今後は、農家さんのお宝レシピを発掘し、食を通して、土地の暮らしや知恵をまとめた本をいつか作ってみたいと思っている。

尾久彩子さんのプロフィール
富山県在住。野菜ソムリエプロ。地元富山で建物の設計やまちづくりの仕事をしている。野菜ソムリエとは関連が無い仕事と思われるかもしれないが、土地の気候風土が基礎であり、歴史や文化・慣習から学び、四季のある暮らしなど、共通点はたくさんある。野菜・果物の魅力を伝えながら、季節感を大切にした豊かな暮らしの提案をして行きたい。

取材 / 文:野菜ソムリエプロ / ベジフルビューティーアドバイザー タナカトウコ