もうすぐ夏休みという時期、学校から帰って農家の友達の家に遊びに行くと、翌日にむく「ふくべ(夕顔の実)」が納屋に山のように積んであった。大玉のスイカよりも大きいくらいのサイズで、それがゴロゴロと置かれている風景はとても印象的だった。
ふくべを足踏み式の機械で削るようにヒュルヒュルと2メートル以上になるように長くむき、竿にかけて干せば、かんぴょうとなる。庭一面にかんぴょうを干す棚を作り、そこに竿をびっしりとかけて丸2日間くらいは天日干しされていた。レースのカーテンのようにかんぴょうが風になびく光景は、当時の夏の風物詩だった。
地元では、むきはじめやむき終わりのくずの部分や長さが短いもののなど、商品にならないものを「ひっこき」と呼ぶ。くずと言ってもおいしさに大差はない。生産者が自分の家で食べているのは、だいたいがこのひっこきである。我が家でも近所の農家さんから新物のかんぴょうのひっこきを分けてもらって食べていた。
かんぴょうは、塩をふりかけて弾力が出るまで手でもんでやわらかくする。塩を水洗いしてから10分程ぬるま湯に浸し、水気を絞ってたっぷりの熱湯で10分程度茹でて戻すと、量が5倍になる。幼い私は母が料理をする仕草を見てはいたが、あの農家の庭に干してある紐のようなものが食べられるようになることが、不思議でたまらなかった。大人になって母とそんな話をした時、「魔法をかけて元に戻したの?と言ってたよ」と教えてくれた。私にもそんな可愛い時代があったんだなぁと思うと笑ってしまう。
当時、母がまず作るのは醤油味のすまし汁「かんぴょうの卵とじ汁」だった。戻したかんぴょうを2cm長さに切って溶き卵によくからませ、沸かしただし汁に入れて2分から3分煮るというのが母のレシピだ。真夏の暑い日、両親と兄妹の5人でちゃぶ台を囲み、熱々のかんぴょうの卵とじ汁を食べた。かんぴょうは柔らかくも歯ごたえがあり、カンナのようなもので削ったかつお節でとっただしもおいしかった。当時はクーラーなどなく、窓を全開にして蚊取り線香を焚いていた。かんぴょうを見ると、のどかな暮らしのなかで家族が顔をそろえてワイワイ楽しく食事をしていたあの日のことを思い出す。
大人になって感じるのは、母の料理で季節を感じることが出来ていたということだ。春にはふきのとう、夏にはかんぴょうや茗荷、寒くなるにつれて大根やにんじん、白菜など。旬のものを食べさせてもらっていたから、あんなに美味しかったのだと思う。旬の野菜などが余れば漬物にし、梅酒や果実酒・ジュース、納豆や味噌、梅干し、甘酒など、今の時代に体にいいと言われていることは、私が子供の頃には普通の暮らしでしていたことだった。
さて、野菜ソムリエの資格を取得しようと思ったのは、年齢を重ねたことで自分の体調の変化に気づき、もう一度食を見直そうと思ったことがきっかけだった。その時、高齢となった母が病を患った。めっきり食が細くなった母においしい野菜を食べさせたいと考え、独学ではなくきちんと勉強しようと思ったことも後押しとなった。講座では野菜の知識だけでなく、流通や法律、健康などかなり奥深く勉強でき、いろいろな分野のことにも目が向けられるようになった。現在、母は残念ながら他界し、おいしい食事を食べさせることは出来なくなったが、母が私を育ててくれた昔ながらの料理や行事食などは受け継いでいきたいと考えている。
かんぴょうは栃木県が全国生産量90%以上を占める代表的な特産物だが、この20年で生産量が10分の1にまで減少した。あの風になびくかんぴょうのカーテンが見られなくなったのは、本当に寂しい気がする。こういった地域の特産物の消費拡大に少しでも貢献できるような活動もしていきたいと思う。