野菜ソムリエの思ひ出の味
実家の原木椎茸

 実家は千葉県富津市の農家である。かつては、米と原木椎茸を中心に栽培していた。そのため、椎茸は幼い頃から必ず食卓に存在するもので、我が家にはなくてはならない食材だった。煮物、軸の煮物、味噌汁、野菜炒め、ラーメン、カレー、混ぜご飯、フライなど、見た目の問題で市場に出せない椎茸たちが様々な料理に織り交ぜられて日々の食卓に並んでいた。
 と言っても、子どもの頃は椎茸に対しての思い入れは何もなかった。むしろ農作業の手伝いをしなければならない元凶でもあり、どちらかと言えば好きでなかったようにも思う。原木に穴を開けて菌を打ち込む駒打ちや、原木を水に浸けるためのケースに並べる作業、収穫、乾燥加工など、根気のいる手作業が延々と続くのだ。身も心もとても疲れる作業で、私にとっては苦痛でもあったのだ。

 そんな椎茸への印象が変わったのは、結婚してからのことだ。とある日、実家から椎茸が届いたので、シンプルにオーブントースターで焼いて食べることにした。焼いている間から、キッチンにはよい香りが漂っていた。じんわりと焼きあがった椎茸の傘の部分に醤油を少しだけ垂らし、妻に差し出した。熱々を口に運んだ妻は、「う、うっ、うまい〜〜〜っっ!えーーー、何これ〜!!」と目を見開き、「椎茸だけで、ごはんがススム!むしろ、ごはんなくてもいい!醤油だけの味が、またベストっ!よけいなものはいらないっ!」と、とにかく感激していた。
 農家ではない家庭で育った妻にとって、椎茸は食事の中で意識することは全くなく、あくまでも脇役的な存在だった。それが主役級の味わいを持っていたことに感激し、感動したのだと言う。そのリアクションがとても新鮮で印象的だった。そして、そうか自分は食材に恵まれたとても贅沢な暮らしを送ってきたのだと気づかされた瞬間でもあった。
 この日から「青果物の価値」を意識するようになった。幼い頃から、農家である父親が寝る間も惜しんで働いている姿を見てきた。そうやってつくられた野菜には、一般の生活者(特に私の妻)の心をこれだけ動かすほどの価値がある。自然、天候というコントロールできないものを相手にしながらも成果を残しているというのは、スゴイことだと思ったのだ。

 現在、実家では原木栽培の椎茸の生産を大幅に減らし、野菜の生産にシフトしている。というのも、東日本大震災の影響で、原木椎茸の栽培ができない時期が続いたからである。やっと栽培ができるようになってからも、人に食べてもらうためではなく、検査用の椎茸栽培を続けなくてはならない状況だった。それは農家である父にとってツラいことだったろうと思う。
 野菜は自家用や体験農園用には栽培していたが、出荷用とは勝手が違う。父が手探りで頑張る姿を見て、何かできることはないかと考えて野菜ソムリエの資格を取得した。家業は長男である兄が継ぐことになっている。私にできるとしたら、父の野菜の魅力を伝えること、東京での販路を開拓すること等だと思ったのだ。当初は、実家がもう少し報われてくれればという想いで始めた野菜ソムリエ活動だったが、次第に父のように寝る間も惜しんで働いている農家さんがたくさんいることに気づき、今では実家だけではなく全国の農家さんもきちんと評価される社会になって欲しいという想いが強くなってきた。
 野菜ソムリエになってからは、食や野菜、農業という共通の話題で話ができる友達が増えた。今までの仕事・生活では経験できなかったことであり、自分自身の幅が広がったとも感じている。今期は野菜ソムリエコミュニティTOKYOの役員を任せてもらえることになった。更に活動の場も広がり、友達も増えるであろうことを楽しみに思っている。

星野 渉さんのプロフィール
東京都在住、千葉県出身。野菜ソムリエ。実家は千葉県富津市にあり農家をしている。米や野菜(枝豆、大豆、さつまいも、トマトなど)、椎茸を、あまり多くはないが生産している。私自身は農家ではなく、建設コンサルタントをしながら、野菜ソムリエとしても活動している。
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written by

タナカトウコ

/取材・文

野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
インスタグラム toko_tanaka