祖父母の家は新潟県長岡市にある。祖父は庭で数種類の野菜を育てていて、夏にはミニトマトが鈴なりになっていた。子どもの頃は家族と一緒に帰省していたが、私は祖父母が大好きだったので社会人になってからは一人で泊まりに行くこともあった。
その年の夏も私は一人で祖父母に会いに行った。野菜ソムリエの資格に出会うずっと前、まだ祖父が存命だった頃のことである。当時、祖母は病で施設にいたため、祖父は一人暮らしをしていた。泊まりに行っている間、朝夕の水遣りと食べ頃の野菜を収穫することが私の仕事だった。庭の駐車場の横の細長いスペースには、いつものようにミニトマトが植えられていた。採っても採ってもまだある!とウキウキしながら収穫していたことと、「かなちゃん、水くれ(水遣り)してくれるー?」という優しい祖父の声は、今も懐かしく心に刻まれている。
さて、幼い頃は祖父が私たちを喜ばせようとカレーやシチューを作ってくれていたのだが、大人になったのだから今回は私が食事を作ろう!と思い立った。目の前には収穫したての山盛りミニトマト。ソースにして煮込みハンバーグを作ることにした。祖父に手料理を振舞うのは初めてだった。意気込んで作り始めたもののなかなか味が決まらず、結構じっくり煮込んだように思う。とにかく祖父に喜んでもらいたい一心で、喜ぶ顔を想像しながら作った。
だが、出来上がった煮込みハンバーグには加熱して剥がれたミニトマトの皮がいっぱい混ざっていた。それまでトマトソースはトマト缶でしか作ったことはなく、生のトマトで作ったのは初めてだった。トマトソースに残っている皮を目の当たりにして、缶詰のトマトは湯剥きされているものだということに今更ながら気がついた。ミニトマトは皮がしっかりしていることにも当時の私は気がつかなかった。少し考えればわかりそうなものなのに、時すでに遅し。多少は取り除いたもののすべてを取りきれる量ではなく、そのまま食卓に出してしまった。祖父は嬉しそうな表情を浮かべ「うまい、うまい!」と食べてくれ、私はすっかり有頂天だった。
数年後、母と祖父の思い出話をしている時にハッとした。当時の祖父は大腸を患った後で、消化のよくないものはあまり食べられなかったのだ。それなのに嬉しそうにぺろりと食べてくれた。あの後とても辛い思いをしたはずである。祖父が亡くなってから、ようやくそのことに気づいた自分に心から情けなくなった。同時に祖父の愛情や優しさを感じた。そして、料理は自分の想いだけで作るものではなく、相手の気持ちや健康状態を思い遣ってこそ、おいしく食べてもらえるものだと気がついた。野菜果物や健康に関する正しい知識を持っていなければ、それも叶わないということにも。
野菜ソムリエの資格を取得したのは一般企業に就業していた時だ。アフター5を充実させたいという些細なきっかけだったが、自分が作った野菜果物を送ってくれていた母方父方の両祖父とそれを美味しく料理する母の影響が大きかったようにも思う。祖父に料理を作ったあの日、もっと野菜のことや調理法なども知っていれば…という後悔も今思えばあったかもしれない。「作ってあげる」ことを意識しすぎて自己満足の料理になってしまった反省もこめて、これからもずっと勉強は続けていくつもりだ。
勤めていた会社を退社して野菜ソムリエとして生きる道へと進んだのは、野菜ソムリエプロ講座受講中の時だった。「一度しかない人生なんだし、好きなことやれば?」という主人の言葉も後押しとなった。今は、毎月1つの素材をテーマに一番美味しく食べる調理法を探るOne Vege Projectを中心に、地道にコツコツと野菜・果物の美味しさ・楽しさを伝えている。
現在も施設にいる祖母に会いに行く時は、長岡市の祖父母の家に寝泊まりしている。祖父亡き後も、近所に住む叔父が前と同じ場所にミニトマトを植えてくれているので、滞在時は昔と同じように水遣りと収穫をする。夏特有のむわっとした空気、水を撒いた後の土や葉の匂い、蝉の声、そして鈴なりのミニトマトを見るたびに、あの日の祖父を思い出す。あの時はごめんね。ありがとう。と心のなかでつぶやきながら。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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