小学生の頃、夏休みになると広島県呉市にある父の実家へ毎年帰省していた。私の思い出の味は、その時に食べたスイカである。おそらく地元の親戚が育てたもので、小学生の私には抱え切れないほど大きく、どっしりとしたものだった。
その大きなスイカは、氷を入れた大きな洗濯用タライで冷やされ、皆が揃った時にカットして食べていた。お昼寝の後や夕食後に食べることが多かっただろうか。台所で切り分けられた大きな半月形のスイカをめいめいが手にして、中庭に面した縁側へと向かう。程よく冷えたスイカにおもむろにかぶりつき、口に残った種は中庭に向かってふーっと飛ばしながら食べたものだ。指で種をほじくったり、スプーンを使ったりすると「そんなことしたら、まずくなる!」とおばあちゃんに怒られたからである。スイカはとても瑞々しく甘かった。かぶりついた先から滴るスイカの汁が洋服や浴衣に落ちないよう気をつけてはいたが、まだ幼かった私には無理なことだった。
一緒に食べていたいとこは食べ飽きていたのか「氷スイカ」の方が好きだと言っていた。氷スイカとは、関西圏の喫茶店などで見られるうっすらと甘いかき氷に、上品に切ったスイカが三切れほど載っているメニューだ。だが、私にとってはおばあちゃんの家で食べるスイカが、どこで食べるものよりもおいしかった。当時の私は偏食がひどく食べられるものが少なかったが、そのスイカだけは別格だったのだ。子ども心に「今までなんであれこれ好き嫌いがあって、食べられないのだろう?なぜこのスイカは素直に食べられるのだろう。」と思っていた。
成人して偏食はしなくなった。自分の給料で好きなものを自由に食べるようになったからだ。今思えば、厳しい父の顔色を伺いながら食べることが多く、ごはんをおいしいと思ったことがあまり無かったように思う。おばあちゃんの家で素直にスイカが食べられたのは、何も言われることなく楽しく食べられたからなのかもしれない。
野菜ソムリエになったのは、去年の9月である。スーパーの青果売場で仕事をする上で必要だと思ったからだ。接客しているといろいろ聞かれることもあるし、ただ売るだけではつまらないと感じたからである。資格取得後は、他の人から野菜果物について質問されることが増え、仕事に徐々にいかされている。お客様のなかには野菜果物に非常に詳しい方がいて驚かされることもあり、もっと知識を蓄えたいとも思う。今後の活動については模索中だが、料理の方向へ進みたいとも考えている。
さて、おばあちゃんの家で食べたスイカは今でも記憶に残るおいしさだ。青果売場に勤める今、詳しく調べてみたところ、あの時のサイズは4Lという大玉だった。しかも今ではあの地域のスイカは「幻のスイカ」として超高級品になっていたのだった。
タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
インスタグラム toko_tanaka