野菜ソムリエの思ひ出の味
山形県尾花沢市特産の「尾花沢スイカ」

 子どもの頃は夏休みになると、母の実家がある山形県尾花沢市で過ごしていた。尾花沢といえばスイカが名産だ。母の実家でもつくっていて、母屋の脇の室(むろ)にはスイカが山積みになっていた。
 室は“穴蔵”と呼ばれていた。5畳ほどの広さで、天井高は150cmくらいだったろうか。祖母が腰を曲げながら入っていったことを覚えている。中に入ると薄暗くじめっとしていて、夏でもひんやりとしていた。そしてとっても静かな空間だった。幼い頃はそれを怖く感じたが、年齢があがるにつれて基地のように感じるようになりワクワクする場所になっていった。

 おやつの時間には祖母と一緒に室へ行き、自分でスイカを選んで切りたてをいただくのが常だった。沢山ある中から食べる人数によって大きいものを選んだり、一人占めして食べる時はちょっと小ぶりのものを選んだりした。室から出したスイカは、その場の床にまな板を置いてすぐ切り分けられた。切る前に祖母はポンポンと叩いて音を聞き、「いい音だ、美味しいそうな音だ」と言っていたことを思い出す。室から出したてのスイカはほんのり冷えていて、とても甘かった。いくらでも食べられる最高のおやつだった。
 姉と一緒に食べる時は、じゃんけんで勝った人からカットされたスイカを選び、縁側や裏庭で種飛ばし競争をしながら食べたものだ。時には贅沢にもひとりで半分のスイカを食べることもあった。床に新聞紙を敷いてスイカを置き、大きなスプーンで豪快にくり抜きながら食べる。この時中心部分は最後までとっておく。一番甘い部分を最後の最後に食べたかったからだ。自宅では小さく切り分けられていたスイカが、ここではダイナミックに抱えながら食べられる。そんなことも印象的だった。今でも「尾花沢スイカ」は お婆ちゃんを思い出す懐かしい味である。

 夏場の食欲がない時でもスイカだけは食べることが出来る。夏の朝食には小さな三角形にカットしたスイカを必ず食べるようにしている。我が子の食欲が無い時も一番にスイカを思い浮かべ、食べさせることが多かったような気がする。子どもも目を輝かせて笑顔で食べてくれたものだ。
 そのまま食べるのが一番美味しいとは思うが、夏の終わりに残ってしまったスイカは無理して食べずに「スイカ糖」にすることもある。皮ごとミキサーでジュース状にしてから濾し、時間をかけてゆっくりと混ぜながら煮詰めたものだ。そのまま舐めてもいいし、パンにオリーブオイルと一緒に塗って食べても、紅茶やヨーグルトに入れてもいい。

 さて、私の転機は新潟への引っ越しにあるだろう。毎日の食事で新潟の野菜を食べているうちにその美味しさを知り、野菜の見方ががらりと変わった。もっと野菜のことを深掘りしたいと思い立ち、野菜ソムリエとなった。
 その上の資格の野菜ソムリエプロを目指そうと思ったのは、44歳の時だった。私の姉は乳がんを患い44歳の若さで亡くなっている。もっと生きたかったと思う。私はその44歳以降を生きることが出来ている。そんな貴重な人生を何もしないで生きているのが申し訳なく、努力ということを加えていこうと思った。そこで自分が興味を持っている野菜の学びを深めようと考えチャレンジを決めたのだった。資格取得後は野菜料理教室の準備をしていた。しかし昨年、姉と同じ病気になってしまった。現在は病が再発しないよう努力をお休みしているが、今まで学んだ知識は自分の身体を守るために役立てている。今後体調が戻った折には野菜ソムリエプロとして身体によい料理を発信出来るようにしたい。そう考えながら前向きに過ごしている。

井出 真弓さんのプロフィール
新潟県在住。野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティセルフアドバイザー。発酵マイスター。今は、素材にこだわった味噌づくりや、野菜や果物からつくった酵母で天然酵母パンを作っている。近い将来は自分が学んだことを活かせるようなことをしていきたいと思っている。
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written by

タナカトウコ

/取材・文

野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
インスタグラム toko_tanaka