祖母の家はソウルから山の方へ車で2時間半ほど行ったところの空気が綺麗で自然が豊かな田舎にある。子供の頃は夏休みや冬休みになるといつも遊びに行っていた。祖母の家の後方には小川が流れていて、夏は泳いだり、冬は凍った川でソリ滑りをしたりして遊んだものだった。遊び疲れてお腹を空かせて帰ると、家では祖母がいろいろなパンチャン(おかず)をつくって待っていてくれた。祖母の田舎流の手料理はどれもおいしかったが、なかでも祖母の味が一番だと感じられたのは「コサリナムル」だった。
「コサリ」とは、日本でいう「ワラビ」のことである。コサリナムルは、ワラビを炒めて、えごま油、韓国在来醬油、みじん切りのにんにくとネギなど和えたシンプルな料理だ。祖母の家で初めて見た時は、正直なところ黒長い見た目が気持ち悪く感じて「何これ?」と思った。でも食べてみたら、醤油の香ばしさとシャキシャキの食感が好みですっかりクセになったのだった。特に祖母がつくるコサリナムルは、味が深くてとてもごはんが進むものだった。
というのも、そのワラビは祖父母が山に登って採ってきたものだったのだ。ワラビが採れる春は茹でてアク抜きしたものをそのまま使うが、他の季節には、茹でてから丁寧に天日干しして保存しておいたワラビを戻して使う。コサリナムルにつかう醤油もまた伝統的な手法で毎年春に仕込んでいるものだった。乾燥ワラビも在来醤油も市販品をつかえば簡単なのだが、祖母は家族においしいものを食べさせるために愛情をこめて手間を惜しんでいなかった。それを知ると、祖母のつくる素朴なコサリナムルを食べることがより一層贅沢な時間となった。
祖母が亡くなってから3年が過ぎた。母も私も祖母の真似をしてコサリナムルをつくってはみるのだが、なかなか祖母の味のようにはならない。その度に祖母を思い出して、会いたくてたまらなくなるし、寂しさもこみ上げてくる。
最近になって、母の味が祖母の味に似てきたように思う。私の料理も母の味に似てきたので、いつか私も祖母の味を出せるようになるだろうか。若い私は料理の経験がまだまだ浅いけれど、母や祖母の味を意識しながら料理するようになった。健康的でおいしいだけではなく、祖母が家族のためにそうしていたように、愛情を感じられる深い味のレシピを提案できる人になれるよう頑張りたい。
日本に留学していた11年前に、偶然、野菜ソムリエのKAORUさんが出演していたテレビ番組を目にした。私も韓国ではテレビレポーターやテレビショッピングのアナウンサーをしていたので、こういう活動ができたらいいなと思って検索したのが、私の野菜ソムリエ人生の始まりとなった。当時は韓国にも野菜ソムリエ協会の支局があったので、初級資格は韓国で取得。中級の野菜ソムリエプロは日本へ何度も通って受講した。日本語での筆記試験は、テスト問題を読むだけでも大変で、解答欄に慣れない漢字を書くことにも苦労した。一次試験(筆記)は3度目にやっとパスし、当時の二次試験(プレゼン)、三次試験(面接)もなんとかクリア。晴れて野菜ソムリエプロとなり、東京で開催された野菜ソムリエアワードにも挑戦した。その時は、他の出場者と自分とのレベルの差に圧倒されて愕然としたけれど、優しい野菜ソムリエの同志や先輩に恵まれて、野菜ソムリエとしても人としても学びながら成熟しつつあると思う。
この頃は、韓国よりも海外で料理教室をすることが増えている。国によって野菜も環境も違うため予期せぬ問題が起こることもあるが、むしろそれを楽しみながら学んでいる。野菜のことを大事だと考えるのは世界共通だ。韓国料理を通じて私なりの方式で野菜の魅力を伝えていこうと思っている。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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