子どもの頃、お盆やお彼岸になると母がたくさんのおはぎをつくり、黒い塗りの重箱に詰めて父方と母方の両方の祖父母の家へと持っていった思い出がある。私はおはぎをつくるお手伝いをすることがとても好きだった。もち米を丸めてあんこをつけるという作業が遊びのようだったし、ごはんをちょっと手にとって、そこにあんこをつけてつまみ食いをするのも楽しかったからだ。
あんこは前の晩に大きな鍋でコトコトと煮る。砂糖や塩は目分量なのに、味加減はいつも同じにできていた。それを木のしゃもじで半殺しにして粒あんにする。翌日、もち米はうるち米を混ぜて炊いていた。炊飯器のふたを開けると甘い香りが立ちのぼり、ホカホカでつやつやだったことを覚えている。炊き上がったごはんもまたすりこぎで半殺しにして熱々のうちに丸めていく。子どもの手にはとても熱く、なぜ母はあの熱いごはんを握れるのかと不思議に思ったものだった。そしてそれを手際よくあんこで包んでいく母の手元を見ているのも好きだった。
母からは、手のひらにラップを広げて、その上に粒あんをきれいに広げてから、ごはんを包むと上手にできるよと教えてもらった。教わった通りにしてみたけれど、子どもの小さな手ではなかなかうまくいかなかった。あんこが所々はげた不格好なおはぎになって母がつくり直してくれたり、逆にあんこをたっぷりとつけ過ぎて大きなおはぎになってしまい、大きいなぁと母に笑われたりしたことも懐かしい思い出である。
あんこを炊いて練ってから仕上げに塩を入れると甘さが引き立つこと、春のお彼岸は牡丹が咲く季節なのでぼたもちで、秋のお彼岸は萩の花が咲く季節なのでおはぎと言うこと、あずきを半分つぶす方法を“半殺し”ということなども、この時に教えてもらった。子どもの頃から料理を通して母から教えてもらうことはたくさんあった。
野菜ソムリエになったのは、父から受け継いだ家庭菜園がきっかけである。自分たちでつくった野菜がとてもおいしく、友人たちにも配ると喜ばれた。いつしか夫婦で自家栽培野菜をつかったお店を出そうと思うようになり、夫はパンづくりを、私は野菜について学ぶことになった。そして野菜ソムリエの資格を取得すると、今まで知らなかった品種を育ててみたいと思うようになり、育てる品種は毎年少しずつ増え、借りている畑の面積は3倍になった。自分で野菜を育てることで、季節の変化、異常気象の厳しさなどを実感し、農家さんのご苦労をあらためて知ることができたとも思う。
畑では、毎年、小豆もつくり、秋に新豆を収穫してあんこを炊いている。あんぱんにすることが多いが、お盆やお彼岸には昔を思い出しながらおはぎ(ぼたもち)をつくることもある。
母は10年前に74歳で突然亡くなってしまった。私が野菜ソムリエになる前で、会社員としてとても忙しく働いていた頃のことだった。その当時は思わなかったけれど、4年前に野菜ソムリエになり、食のことがそれまで以上に身近になると、母の味をきちんと教えてもらっておけばよかったと後悔するようになった。つくっているところを見てはいるが、細かい手順は覚えていないのだ。思い出しながらつくってはみるが、母の味にはなかなか近づかない。母のおはぎがあんぱんに変わるが、よい塩梅のあんこを炊けるようになることが、今の私の目標である。
パン屋は埼玉県内の実家をリフォームして開店することに決めた。子どもの頃からお世話になっている、母と同世代の近所のお母さんたちが、空き家になっている実家をいつも気にかけてくださっていて、皆さんがお元気なうちに恩返しをしたいと思ったからだ。家にこもりがちな近所のお年寄りの方が、ちょっと遊びにきて、あんぱんを食べながらお茶を飲んでのんびりできるようなあったかいお店。それが私たち夫婦の目指すパン屋像でもある。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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