日本でも古くから行われている「焼き畑」農法。その存在を知ったことが、伝統野菜に関わるようになったきっかけだった。海外での無計画な焼き畑は環境破壊のイメージがあるが、日本のそれは真逆だ。しっかりと手間をかけて計画的に行われ、土も森も再生される。むしろ環境を守るサステナブルな農法なのである。今もその地の文化として継承されている場所があるという。一方、農業従事者の減少にともない、伝統農法や伝統野菜の継承者も少ない。日本古来の野菜の文化が失われる危機感も感じた。知れば知るほど伝統野菜の虜となり、もっと広めていこうと積極的に取り扱うようになった。
その方と出会ったのも、日本各地の伝統野菜を探してまわっている時だった。山形県戸沢村に焼き畑農法で栽培される「角川かぶ」という伝統野菜があることを知り、電話でアポイントをとって現地に赴いた。誰かの紹介というわけではなく、まだ取引も発生していなかったのだが、見ず知らずの訪問者である私を歓迎し、戸沢村の皆さんはとてもよくしてくださった。その中心人物こそ、現地の生産組合の会長だった。
初めて戸沢村を案内してもらった時のことだ。森の中で立ち枯れした巨木に遊びで「原木なめこ」の菌を植えつけたという話を組合長から聞いた。その後、結局のところ、その巨木に原木なめこは出てこなかった。本人も遊びで打ち込んだもので期待していなかったようだし、他の生産者もすっかりその存在を忘れていた。
定期的に戸沢村に足を運ぶようになった頃、組合長はガンを患い他界してしまった。彼の思いに応えるためにも頑張っていこうと、残されたメンバーと試行錯誤を繰り返した。私は伝統野菜の販路をつくり、メンバーは廃校になった小学校の給食室をリフォームして加工場をつくった。
山菜の塩蔵や角川かぶの漬物の商品化にも成功し、「今までの活動が形になったね」と、ひと段落ついた年のことだった。突然、あの巨木に原木なめこが出てきたというではないか。私が初めて戸沢村に行った時に組合長と話していたやつだと思い出したメンバーが「この原木なめこは塩田さんに収穫してほしいので、とっておく」と連絡をくれたのだった。組合長が亡くなってから、4年ほどの月日が経っていた。
立ち枯れした巨木の幹には、そこかしこに原木なめこがこんもりと発生していた。それをていねいに収穫し、常宿の農家民宿で味噌汁にしてもらってみんなと味わった。スーパーのものとは違って味が濃く、ツルッとした食感がとてもよかった。
あまりのタイミングのよさに、今までの苦労が報われたこと、その苦労を共にしてきた仲間と味わえたこと、亡くなった組合長が見守っていてくれたのかもと嬉しくなったこと、様々な思いが胸にあふれた。その原木なめこの味噌汁は私にとって忘れられない味となった。そしてまた初心を忘れてはいけないなとも感じた出来事だった。不思議なことに、その巨木から原木なめこが出てきたのは、後にも先にもこの1回のみだった。
それまでも、日本の限られた地域に昔から受け継がれてきた伝統野菜の発掘や販路づくりには取り組んできたが、この日を機により頑張ろうと奮起するようになった。戸沢村の「角川かぶ」からスタートした伝統野菜の取り扱いは、同じ山形県内では、甚五ヱ門芋、最上赤にんにく、温海かぶ、悪戸芋、藤沢かぶ、勘次郎胡瓜、小野川もやし、雪菜と広がった。そして、長崎県(ゆうこう、辻田白菜、長崎赤かぶ、唐人菜、長崎高菜)、長野県(下栗芋、ていざ茄子、清内路南瓜、親田辛味大根)、奈良県(宇陀金牛蒡、大和真菜、片平あかね蕪、結崎ネブカ葱)など、他県の伝統野菜の取り扱いも増やし続けている。
きちんと種採りまでして手間暇かけて栽培された伝統野菜たちは、やはり純粋においしいと私は感じている。また、これまでの永い時を受け継がれてきたということは、それだけ多くの人の手を介して今自分たちの目の前にあるということだ。それを当たり前と思ってはいけないだろう。だからこそ、そういった伝統野菜たちを次の世代の子どもたちにきちんと残していきたい。青果を扱うものとして、日々そう考えている。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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