小学生の頃、年末になると叔父の実家がある長野県から、「ふじ」と書かれた大きな水色の段ボールが届いた。箱を封印している巨大なホチキス針をハサミで取り除き、おもむろに蓋をあけると、大量のおがくずがぱっと飛び出して宙を舞った。私はワクワクしながらセーターの袖をまくり、箱の中のおがくずにぐっと手をつっこんだ。手にまとわりつくおがくずのくすぐったい感触を我慢しながら探っていくと、ひんやりとした丸い物体が指に触れた。そっと掴んで引き抜くとようやくお目当てのりんごが登場した。私はニヤニヤが止まらなかった。
子どもの片手でやっと持てるほどの大きさで、表面はロウでも塗ったように艶めいている。そして甘く熟したりんごの香りがした。近所の八百屋で売っているりんごとは、別の果物のようにも感じられた。母にりんごの皮を剥いてもらい、家族みんなで味わった。半分に割った時、種の周りにはビッシリと蜜が詰まっていた。一口かじると甘い果汁があふれ、まるでジュースを飲んでいるかのようだった。
私と弟は、一つ掘り出したらまた一つと競うようにして次々とおかくずの中からりんごを掘り出していった。全部のりんごを取り出す頃には、畳もセーターもすっかりおがくずだらけになっていたが、母に怒られることはなかった。掘り出したりんごは、弟と一緒に、畳の縁に沿って背の順にまっすぐ並べてみた。そして一番大きいものは自分たち用としてまたおがくずの中に戻し、小さなものは紙袋に入れて近所に配り歩いた。
私は母がりんごの皮を包丁でスルスルと剥くのを眺めては、いつかあんなふうに自分もりんごの皮が剥けるようになるのかなと憧れるようになった。毎年りんごが届くたび、「私にも皮を剥かせてほしい」と頼んだが、母はすぐにはいいよと言ってはくれなかった。
小学6年生の冬、「切れ味の落ちた果物ナイフでなら」と、初めてりんごの皮剥きを許可してくれた。当然ながら母のようにはうまく剥けず、小さい幅でギザギザと実を削ることしかできなかった。厚ぼったい皮が恥ずかしくて、剥き終わった皮をさっと新聞紙に包んで捨てたこともある。「包丁を使えるようになって褒められたい」という意識が芽生え、私は毎日りんごの皮むき特訓をした。最初は母に教えてもらい、納得するまで何十回と果物ナイフを片手にりんごと格闘した。どこまで長く剥けるか慎重にナイフを滑らせ、うまくいきそうなところで皮が途切れると悔しくてたまらなかった。
特訓を重ね、ついに自分が納得するりんごの皮剥きに成功した。その頃には包丁を使うことへの恐怖感もなくなり、料理への興味も持つようになっていた。母の調理する姿を見て包丁の技術を学び、小学校の調理実習ではじゃがいもの皮をスルスルと剥くことができた。それを友だちに褒められたことで、ますます料理の技術を磨きたい、母のような家庭的なごはんがつくれるようになりたい、いつか自分のつくった料理や技術で誰かに喜んでもらえる仕事がしたいと思うようになっていった。
一旦は客室乗務員となったが仕事を通じて料理の幅広さを知り、料理に携わる仕事をしたいという気持ちが再燃。料理教室の講師へと転身した。現在勤めている料理教室の生徒さんは、野菜王国千葉県在住だけあって野菜に詳しい方が多い。講師としてちゃんと勉強しなくてはとの危機感もあって、野菜ソムリエ講座を受講した。資格取得後は、料理教室で「農家×野菜ソムリエの食育ワークショップ」の開催、農業者と生活者を繋ぐプラットフォーム「チョクバイ!」のオフィシャルサポーターとしての活動など、料理の仕事の幅が広がっている。
Instagram : kitchenmountain
タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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