物心ついた頃には、当たり前のように日々の食事につかわれていた「かぼす」。初めてかぼすに出会った時がいつだったのか、まるで思い出せないほどである。というのは、毎年さんまのおいしい季節になると、大分県から箱でかぼすが届いていたからだ。父の実家からであったり、親戚からであったり、時には両親の友人が送ってくれることもあったようだ。届いた段ボール箱の中には、いつもきれいな深い緑色をしたピチピチでつやつやのかぼすがたっぷりと入っていた。
焼きたてのさんまに大根おろしを添え、かぼすを絞っていただく。かぼすの果汁を絞って水や炭酸を足してジュースにする。ゴーヤ(これも大分県産)をさっと茹でて薄切りにし、たっぷりのかつおぶしをまぶし、かぼすと醤油をかけていただいたりもする。大分の郷土料理「だんご汁」にもかぼすを絞っていただく。柚子のように皮の香りを生かして、おすましや味噌汁に加えたりもする。さらには、かぼすを酢飯につかったりもする。
かぼすが届く9月頃から、お鍋のおいしい冬の時期まで、ずっとかぼすは食卓にあった。かぼすの皮の色が緑色から黄色に変わっていくと、皮が薄くなり果汁が絞りやすくなっていく。鍋を囲むテーブルでは、絞りやすいサイズにカットしたかぼすがお皿にたくさんのせてあった。かけ放題といった感じだった。
かぼすの独特な味と香りには、柚子やすだちとは一線を画すおいしさがある。だから私は柚子よりすだちより、かぼすを選ぶ。幼い頃から慣れ親しんだ大好きな味でもあり、「大分県」「父の故郷の風景」「亡き父と祖父母」を感じられるからでもある。父の実家の前に広がる田んぼ、その向こうに迫り来るくらい大きな山、泳いだり、石を集めたり、魚をつかまえたりして遊んだ川、水分補給をした湧き水、うるさいくらいの蝉時雨の音。かぼすをキュッとしぼると、そんな光景が浮かぶ。大分県で育ったわけではないが、かぼすを通して大分県に対する郷土愛のようなものが私の心に育っている。
かぼすから親の育った大分県を意識するようになったわけだが、大分県の農家の長男として生まれ育ちながら「どうして家業を継がずに東京で仕事をするようになったのか」と、亡き父の選んだ人生を考えるきっかけともなった。
聞いた話では、祖父は勉強好きだったが農家の長男ゆえに進学が叶わず、同じように勉強好きだった父には自分ができなかったことをさせてあげたいと進学を許したとのこと。一生懸命勉強して京都大学を卒業した父は、「農協中央会」に所属して休みなく働いた。農業を別の形で支えて、力になれる道を選んだということだった。父の残した著書や講演のビデオや資料などを見ると、農家の経営状態や暮らし向きがよくなることを願って仕事をしていたことを感じる。大人になって、子どもの時には気づかなかった父の仕事や農業に対する思いを理解できたのだった。よって「かぼす」は、「父の人生」を思い出すものでもある。私が野菜ソムリエプロとなったことも、かぼすや父の存在が無意識の中でつながっているのだと思う。
祖父母が亡くなり、父が亡くなり、大分県からかぼすが届くことはなくなってしまったが、神奈川県の自宅にあるかぼすの木には、毎年たくさんの実がつくようになった。樹齢20年以上。生前の父が植えたものである。
インスタグラム:aquamarinwind
タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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