野菜ソムリエの思ひ出の味
祖母が作ってくれた青ネギたっぷりの肉うどん

 幼少の頃、父は長期で海外出張に行くことが多かった。父が不在の間は、母の実家がある鹿児島へと帰省するのが常だった。私はやさしい祖父母が大好きで、会いに行くことを本当に楽しみにしていた。学校に上がってからも、春休み、夏休み、冬休みと、休みの始まりから終わりまでそのほとんどを鹿児島で過ごしていたほどである。いつも帰省の前の日には、休み中の宿題を一気に終わらせ、うれしさのあまり姉弟でずっとおしゃべりをしていたものだった。

 鹿児島に着くと、祖父母が営んでいた養豚・養鶏の飼料の配達についてまわったり、祖父母が育てる野菜の収穫の手伝いをしたりと、祖父母と一日中行動をともにしていた。手伝いというよりは、走りまわって邪魔をしていたという表現が正しいかもしれない。
 滞在中、もっとも楽しみにしていたのは、祖母がつくる料理だった。料理上手の祖母は、私と弟が好きなものを毎日たくさんつくってくれた。オムライス、甘い卵焼きなどなど・・・。どれも忘れられない味ばかりだが、中でも一番の好物は「青ネギたっぷりの肉うどん」だった。甘辛く煮た牛肉と煮干しの出汁がきいたスープに、表面が緑色で埋まるほどたっぷりの青ネギがかけられていた。スープ自体は淡い味つけだが、たっぷりの青ネギで味がまとまり、その豊かな香りで食が進んだ。青ネギとうどんとを一気にすすり上げれば、自然と笑みがこぼれてきたものだった。

 小学生だったある日、祖母の肉うどんがどうしても食べたくなり、母にお願いをしたことがある。今では関東でもごく普通に青ネギが流通しているが、当時の自宅付近(茨城県)のスーパーで青ネギは売られていなかった。母は仕方ないと根深ネギで代用して肉うどんをつくってくれたのだが、当然のごとく祖母がつくる肉うどんの味にはならなかった。
 野菜ソムリエとなった今ならば、関東は根深ネギ文化、関西や九州は青ネギ文化で、当時の関東で青ネギが売られていなかった理由がよくわかる。しかし幼い時分の私は「どうやったらあの味ができるのだろう??おばあちゃんにしかつくれない味なのか??」と謎に思っていた。その頃から祖母のつくる肉うどんが私の中で特別なものとなり、強烈に記憶に残っている所以でもある。

 祖母が年老いてもう料理ができないと言うようになり、私はあの肉うどんをつくれるようになりたいと強く思いはじめた。祖母はレシピなど持っていない。すべて自分の舌で味を決めている。そこで、祖母と一緒につくりながら教わってみると、つかう調味料は少ないけれど、おいしいという割合を見つけることがとても難しいと感じた。
 それでもいつの日か私がつくった肉うどんを祖母に食べてもらい、祖母の味に近づいたかどうかチェックして欲しいと思いながら、これまで数えきれないほどの肉うどんをつくってきた。しかしながら、この取材の話を受けた日に祖母は95歳で他界。結局、祖母からのお墨付きはもらえなかった私流の肉うどんだが、これからは、祖母との思い出を懐かしみたいときの一品となった。

青栁由美子さんのプロフィール
茨城県在住。野菜ソムリエプロ、冷凍生活アドバイザー、キッズ野菜ソムリエ育成認定講師、食品衛生責任者。旬野菜やその土地でしか栽培されていない伝統野菜などをたくさんの人にも楽しんで欲しいと、ブログをはじめ、チョクバイ!オフィシャルサポーターとしてコラム執筆、直売所で販売されている季節野菜、果物情報の口コミの発信、及びレシピを紹介。また、子どもたちに野菜に興味を持ってもらいたいとカルタや野菜の成長などを手作り教材にし、野菜教室を行っている。
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written by

タナカトウコ

/取材・文

野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
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