みかんや不知火の販促活動で、関東の百貨店に行った時のことだ。私が生産者だとわかると、お客様は他の野菜や果物に対しても「どれがおいしいですか?」と聞いてくる。しかし、わからないことだらけ。その時、野菜と果物についてきちんと学びたいと思った。他の販売コーナーでは野菜ソムリエが接客をしていて、その姿がとてもかっこよかった。それが野菜ソムリエを目指すきっかけとなった。
さて、公務員の家庭に育った私が「みかん農家」へと嫁いだのは、22歳の時である。私にとって「みかん」と言えば、子どもの頃の運動会。家族で囲むお弁当と一緒に緑色の極早生みかんが並ぶのだ。冬はコタツの上に橙色のみかんが山盛りとなる。いつだってみかんは、家族団欒の中にある温かな存在だった。そしてまだ若かった私は、農業というものがよくわかっていなかった。おじいちゃんやおばあちゃんが大好きで大家族への憧れだけを抱いて結婚したのだった。
広大なみかん山を前にして、「どこまでがうちのみかん?」と夫に聞くと、「見渡す限り」と言う。正直、何日も同じ作業をするのかと、その大変さを考えて唖然とした。今では笑い話だが、当時はどれほど驚いたことか。あれから30年が経ち、収穫、選別、荷づくり、出荷、肥料散布、事務的なこと等々、すべての仕事を難なくこなす自分がいる。
義父や夫は仲間とともに品種改良をしながら、環境にあったみかんを育てている。柑橘類の品種は100もあると言うが、環境に合わず育たなかったり、味がよくなかったり、試行錯誤がずっと続く。これは嫁いで学んだことだ。
我が家では現在13種ほどの柑橘類を栽培している。その中で一番好きなみかんは、熊本生まれの温州みかん「肥のさやか」だ。果皮は濃い橙色、形はやや扁平、まろやかな酸みと甘み、爽やかな香りとコクのある味わいで、皮は薄くむきやすい。とにかく口当たりがやさしく、何個でもおかわりしたくなるそんなみかんである。
実家へもよく届けていて、私の母も我が家で育てるみかんが大好きだった。30年前、母は咽頭ガンの手術で声が出なくなり、胃も2/3切除してあまり一度に食べることができなくなった。しかし、みかんを持っていくと子どものように大はしゃぎして幸せそうな顔をする。そしてみかんだけは一度に2~3個さっと皮をむく。いつもニコニコしながら、ゆっくり味わうように食べていた。母は2年前に他界したが、みかんを食べている時のうれしそうなあの顔は未だに忘れられない。
ある年、みかんを購入されたご家族からお礼の手紙が届いた。直販ではなく、関東の店舗に出荷したみかんだったが、商品には生産者情報(会社名)を貼っていた。手紙には「末期のガンで何も食べられないのに貴社のみかんは食べられるんです。本当にありがとうございました。」と書かれてあった。
我が家で育てたみかんが、生きる力を与えられるのだと感動した。ならば私も今まで以上にみかんの木に感謝しながら、愛情を持って育てようと心に誓った。おいしくなーれと声をかけながら、子育てと同じように。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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