幼い頃の記憶をたどった時、心に浮かぶのは決まって祖母である。当時、祖母は太宰府天満宮の参道沿いで土産物店を営んでいた。私はよくそこに預けられていて、祖母は仕事をしながら私の面倒を見てくれていた。
時折、リヤカーをひいて野菜を売るおばさんが参道を通った。荷台には真っ赤なトマトや濃い緑色のきゅうりなど新鮮な野菜が積まれていた。祖母は度々そのおばさんから野菜を購入していた。店を離れられない祖母にとっては、重宝していたに違いない。そして、その野菜が私のおやつになっていた。思い出深いおやつは、冷やしたトマト、大学芋、にんじんジュースなどだ。差し出してくれる祖母の笑顔も加味されてか、どの野菜も味が濃く、とにかくおいしかったと記憶に刻まれている。
冷蔵庫で冷やしただけのトマトは、真っ赤で味が濃く甘かった。今でもトマトはそのままガシッとかじりつくのが好きだ。現在のトマトの方が品質も糖度も高いと思うが、記憶の中では当時食べたトマトの方がずっと濃厚で、これぞトマトだという味わいだったような気がしている。
祖母は、大学芋もよくつくってくれた。一口大に切ったサツマイモを揚げて、砂糖入りの蜜にくぐらせる。砂糖が衣のようにイモに絡まっていて、楽しみにしていたおやつのひとつだった。
にんじんジュースは、ジューサーでにんじんとりんごの果汁を搾ったものだ。甘くて飲みやすい味が大好きだった。ジューサーからジュースの出てくる様子を見るのも好きだった。
祖母は料理が上手で、野菜料理以外にも、川魚を飴煮にしたり、あんこを炊いたり、梅ヶ枝餅を焼いたりと、さまざまに手間をかけたものを食べさせてくれた。そして、そのつくる過程も私に見せてくれていた。戦争を体験し、戦後も忙しく働き続けなければならなかった祖母は、孫と過ごす穏やかな時間を大切にしたかったのだろう。私がもう少し大きかったなら、一緒につくりたかったのかもしれない。店を経営しながら、私の記憶に残る料理をつくっていたのだなあと考えると、今更ながら頭が下がる。自信はないけれど、私も子や孫の記憶に残る味を追求したいといつしか思うようになった。
長男が成人し、なんとなく自分の中で区切りがついたように感じたとき、野菜ソムリエの存在を知った。それまで「食」に関しては、あまり知識がなかった。だが「食」は生きていく上で欠くことが出来ないものである。正しい知識を身につけるため、受講を決めた。野菜ソムリエになってからは、食材全般に関心を持って丁寧に扱うようになったと思う。既知の野菜はもちろんのこと、知らなかった地方の野菜や外国の野菜も積極的にいただくようになった。そして「食」にとどまらず、何事にも積極的に取り組むようになった。資格取得を機に自分自身が成長したのかもしれない。まだまだ未熟者で勉強中だが、いろいろな方にアウトプット出来るようになれればいいなあと思っている。
タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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