15年ほど前のことになる。北海道の露地栽培いちごが実る5月になると、父は車を走らせ、遠くに住む私たちのところまで、箱いっぱいのいちごをわざわざ届けに来てくれていた。あの頃の父は元気いっぱいだった。一日中畑にいてバリバリと仕事をこなし、思えばあれが父の全盛期時代だった。
夫は転勤族である。私は夫の転勤にともなって、札幌、江差、室蘭など北海道内を転々としていた。当時3人の子どもたちはまだ幼く、私は子育ての真っ最中。孫の顔を見るのが楽しみだった父は、朝採りした完熟のいちごを段ボールに詰め、どんなに遠くてもいつも日帰りで届けてくれていた。
実家のある七飯町から札幌までは車で片道5時間はかかる。往復で10時間だ。室蘭の時でも往復で6時間。遠距離運転で大変だろうと、「泊まっていけばいいのに」と言っても、「畑が忙しいから、いちごを置いたらすぐ帰る。孫たちの顔を見られたからいいんだ。今しか採れないいちご、腹いっぱい食べろよ〜」と、いつもたった2時間程度の滞在である。コーヒーを2杯飲み、急いで帰っていくのが常だった。子どもたちは「じいちゃんのいちご、また来たー!」と大喜び。いちごを抱えて遠距離を走ってきてくれるじいちゃんは、子どもたちにとってまるでヒーローのようだった。
父はいちご農家ではないが、「孫にお腹いっぱいいちごを食べさせたい!」との思いで育てていた。5月は農作業の最も忙しい時期で1日たりとて休めない。しかし北海道のいちごの時期は本当に短く、すぐに傷んでしまう。他の農作業の手を止めてまでも遠距離を走り、一番なりの粒が揃った一番おいしい旬のいちごを一番のりで届けてくれていたのだ。
いちごは車の振動で潰れてしまわないよう、平たい段ボールに重なることなく丁寧に詰められていた。無農薬で栽培されていたので、箱からそのまま手に取ってむしゃむしゃとおなかいっぱい味わった。お日様のエネルギーをたっぷりと浴び、完熟で収穫された大粒のいちごは、とてもとても甘かったと記憶している。
当時は、まさか自分が農業を継ぐなんて1ミリも思っていなかった。5年前に胃がんと認知症を患い、農作業ができなくなった父と荒れ果てた畑を見て「この畑、全て私が生き返らせてみせる!」と腹に決めた。以来、走り続けてきた5年間。まだまだ歴史は浅いが、今や野菜を育てるのが自分の使命だと思うくらいに畑にいるのが大好きだ。そして野菜の専門的な知識を深めたいと思い野菜ソムリエの資格取得に至った。
現在は大学生から生まれたてまで、孫は総勢12人となった。じいちゃんとばあちゃんのいちごを食べる口が増え、みな心待ちにしている。その子たちのため、父に代わって母とふたりで畑の片隅で今もいちごを栽培し続けている。「じいちゃんのいちご、今年も来るかな?」と毎年楽しみにしていた幼かったわが子は、3人とも大学生になった。大きくなった子どもたちにとっても、働き者のじいちゃんが届けてくれたあの山盛りいちごは「世界一おいしい思ひ出の味」だという。「老いる」というのは仕方がないことだが、自分が農業に携わって父のすごさをあらためて感じた、懐かしくて本当にありがたい「思ひ出の味」である。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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