今から15年ほど前、ジュニアベジタブル&フルーツマイスター(現・野菜ソムリエ)の資格を取得した頃のことだ。子育てがひと段落した姉と私は「親孝行旅行」を企画した。行き先は九州湯布院。両親が行ったことのない地を選んだ。湯布院の有名旅館「玉の湯」への宿泊は満室で叶わなかったが、玉の湯の食事処「山里料理 葡萄屋」の昼食は予約することができた。
その日いただいた山里料理は、地元の食材が丁寧に調理されながらも、気をてらうことはなく、ひたすら真摯で素朴なものばかり。「民藝」に通じるものを感じた。はじめに手を伸ばしたのは煮物の鉢だった。地元の小鹿田焼と思われる器に小ぶりの男爵いも。目立つことなく地味ではあったが、コロンと盛られたじゃがいもが無垢でかわいらしく心惹かれた。
さぁひと箸、口に運ぶ。その途端ビビビっと「電流」のような衝撃が走った。おいしい!を超えた感覚を身体中で感じた。一瞬で「畑」「調理場」がひらめく不思議な感覚に「何?これ」と私は戸惑った。口の中に広がる滋味豊かなじゃがいも本来の味。調味料の味ではなく「じゃがいも」が発するメッセージを受け取ったような感覚だった。
じゃがいもは、畑の上からは見えないけれど、葉を広げ、花を咲かせ、太陽と風を受け、土から雨や養分を吸い、丸く育っていく。カタチの愛らしさ、様々な食材、調理法を受け入れる包容力もあり、温かでやさしい野菜だ。
この日のじゃがいもは心地よく土の中で育ったようで、無理や窮屈が少しも感じられなかった。また、よく研がれた包丁で限りなく丁寧に皮を薄くむかれ、必要最小限の調味料を用いてやさしく加熱されたと教えてくれるかのようでもあった。料理人の“我”は一切感じられない。畑も調理場もその他のすべてがこのじゃがいもにとって「最適」な状態だったのだ、きっと。
食事処の壁には『信頼できる料理には 必ず 信頼できる人物の存在があります』と掲げられていた。この言葉は、料理長が師事した辰巳芳子氏のものだと後になって知り、全てがつながった。禅寺の保養所として始まった宿「玉の湯 山里料理」の真髄をじゃがいもの煮物が教えてくれたのだ。以来私は「料理は畑人から始まる」と考えている。野菜・果物が教えてくれるメッセージをわかる人になろう、誠実な生産者さんから学ぼう、食べる人を思い、食材に感謝して調理しようとも思うようになった。
中級の野菜ソムリエプロの資格取得は、東日本大震災がきっかけだった。震災当時、私はスーパーマーケットでメニュー提案の仕事に就いていた。日ごとに食品が品薄になり、来店客がパニックになる状況で「今ある食材でつくれる料理」を即興で提案し続け、少しでも来店客の不安を和らげようとしていた。その時に思い浮かんだのも、湯布院で食べた山里料理のじゃがいもだった。畑の力・畑の人に恥じないように、おいしく無駄なく食べることに力を注ごう!と。そして、「食をキチンと伝えられる人になろう」と決意したからだった。
これからも畑と食卓の橋渡しになる活動を続けていきたい。また、野菜ソムリエになったことでご縁をいただいた生産者の方や農産物をもっと多くの人に知ってもらいたい。キッチンカーで全国を巡って得意なデモンストレーションで料理のセッションもしたい。とはいえ、今の状況下では、マメに動画配信をしていくのが当面の目標である。
ブログ https://ameblo.jp/smartageing/
タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
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