子どもの頃は少食で、正直なところ野菜もあまり好きではなかった。料理上手な母はいつもおいしいごはんをつくり、そんな私でも食が進むようにしてくれていた。母の手料理のなかでもイモタコナンキンの部類は好きで、特に「カボチャの煮っころがし」は大のお気に入りだった。
当時住んでいた家のコンロは業務用。栓をひねってマッチで火をつけるバーナーが二重三重のタイプだった。一人っ子の箱入り娘だった私は、危ないからとコンロの使用は禁止され、同じく危ないという理由で包丁をつかうこともダメだとされていた。とはいえ、キッチンへの立ち入りがダメというわけではない。オーブンや電子レンジなどで直火をつかわず、包丁もつかわないものならOK。捏ねたり、泡立てたり、型を抜いたりと、遊びのようにできるお菓子づくりは楽しんでいた。
高校生の頃に新しい家に引っ越してキッチンのコンロは家庭用になっていたが、こうして大切に育てられた私は、コンロで料理をすることのないまま大学生になっていた。とある日のこと。母は外出をしていて、キッチンにはカボチャがあった。「そうだ!カボチャの煮っころがしをつくってみよう!」と思い立ち、書棚にあった電話帳のように分厚い家庭料理の本を引っ張り出してみた。
まずはカボチャのカットからだ。直径20cmくらいのカボチャに包丁を刺した時点で、あまりの硬さに敗北の予感がした。包丁は一向に先に進まず、怪我をしそうで怖くなった。早々に諦めて包丁を抜こうとしたけれど、今度はまったく抜けない。それもまた怖かった。これはきっと水で煮てやわらかくしてから切って料理するのだろうとなぜか思いこんだ私は、大きな寸胴鍋にカボチャと水を入れ、火にかけた。まるごとのカボチャはそう簡単にやわらかくはならない。椅子に座ってお茶を飲みながら火加減を見守り、カボチャが浮いてきたら菜箸で押さえたりして、まだかなぁまだかなぁと煮えるのを待っていた。
その時、従姉妹がうちに遊びにきた。彼女は「聖絵ちゃん何してるのー!」と大笑いして、「カボチャは硬いの。でも包丁で切るのよ」と言う。「そうなんだー」と答えながらも、私はちょっぴりショックを受けていた。従姉妹は私のひとつ年下で、それまでお姉さん気分で接していたからだ。大笑いの後、鍋の中のカボチャに竹串を刺したらスーっと通った。「もういいわね。でも、どうやって取り出すのよ」と二人で思いあぐねた。菜箸で取り出そうともカボチャが大きすぎて挟めない。手ではもちろん熱すぎで持てない。大きなザルをシンクに置いてお湯から出そうと鍋を傾けたがお湯が熱くて火傷しそうだった。結局、冷めるまで鍋の中で放置することにして、お湯が冷めてからザルにあげ、触れる温度になってからカットした。切り分けたカボチャは別の鍋に入れ、砂糖、醤油など料理本に書いてあった調味料を加えて煮っころがし風をつくった。だいぶやわらかくホロホロだったが、本のレシピ通りの味つけにしたので、味自体はそれなりにおいしくできた。茹でたカボチャの半分は、帰宅した母がサラダやコロッケにしてくれた。その日の夕食は、両親と従姉妹と私とで大笑いしながら食べたことを覚えている。
後日、母がつくってくれた「カボチャの煮っころがし」は、やはり別格のおいしさがあった。あらためて母が料理上手なこと、四季それぞれの野菜や果物を意識して食卓に出してくれていたことに気づくことができた。母の食事のおかげで大病もせず元気に過ごして来られたのだと、感謝の気持ちもこみあげてきた。
母が私にしてくれたように、私も子どもたちにできることをしてあげたい。アスリートフードマイスターと野菜ソムリエの資格を取得したのは、ラグビーをしている息子の食事をサポートするためだ。野菜や果物をもっと学び、よりおいしく食べてもらうことを目指したいと思っている。
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タナカトウコ
/取材・文
野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
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