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「外食力」著者 中田宏氏に聞く。改革を成功させる秘訣と350日外食でもスリムでいる極意

中田宏氏と聞けば、大胆な改革によって破綻寸前の横浜市の財政を再建した市長時代をイメージされる方も少なくないでしょう。現在は日本社会や政治の問題を発信するシンクタンクの代表を務めながら講演活動で各地を飛び回り、年350日は外食の日々なのだとか。昨年出版された著作「外食力」では、「外食から農業や環境問題を考える」「地方再生は外食から始めよう」など興味深い提言もされています。今回は、中田氏と同世代である日本野菜ソムリエ協会 福井栄治理事長によるインタビューで、健康維持のための食べ方や改革を成功させるためのポイントなどお話いただきました。

シンクタンク「日本の構造研究所」代表 中田宏 氏(右)
日本野菜ソムリエ協会 福井栄治 理事長(左)

福井理事長(以下F):近著「外食力」では、さまざまな観点でフードビジネスを考察されていますが、中田さんが食の世界に興味を持ったきっかけは何ですか?

中田氏(以下N):家庭環境ですかね。父はレトルトやインスタント食品をからだに悪いと考えて好まず、母も同じマインドを持っていました。日々の食事はなるべく手づくりで、おせち料理もひとつひとつ丁寧に煮つけるような家でした。そういう環境で育ちましたから、大人になってから現代の食生活に疑問を持つようになりました。日本人にとって、根本的に何か大事なのか?と。長い間食べられてきたもので日本人のDNAはつくられてきたわけです。その土地の食べ物と身体との相性はあるだろうと感じています。
 
私が子どもだった1970年代は、日本の食文化に新たな波が到来した時代でした。ファミリーレストランやファストフード店が登場したり、朝ごはんにパンとハムエッグが当たり前になったり。大学生になると外食産業でアルバイトもしました。時代ごとにさまざまな「食」に触れ、興味を深めてきました。

F:まさに僕らが育った時代は、食を取り巻く環境が大きく変わった時代ですよね。食の西洋化が進んだというか。今は逆に和食をリスペクトする外国の方が多くなりましたね。

N:私は毎朝、妻が用意した和食を食べています。発芽玄米のごはんに、味噌汁、ひじきの炒めもの、たまご入り納豆、らっきょうが定番で、そこに焼き魚(干物)がついたりつかなかったり。ひじきはオリーブオイルで炒め、にんじんとごまをたっぷり入れるのが妻のレシピ。それがすごくおいしくて食べ飽きないんです。結婚して27年間、ずーっとそれですね。

F:毎朝和食とはすごいですね。奥さまは大変でしょう?

N:それはよく言われますね。しかし妻は「味噌汁は毎朝つくるけれど、ごはんは冷凍していたものをチンして出す日もあるし、ひじきはつくり置いて4〜5日食べるようにしているし、毎日同じメニューだし、そんなに大変じゃないわよ」と言ってくれます。
 
仕事柄、食事が仕事の機会でもあり、年350日は外食になります。妻の手料理を食べられるのは朝食だけですから、出張で不在にする時を除き、朝ごはんは家で食べるようにしています。

F:ほぼ毎日外食なのに、そのスリムな体型を35年間維持されているんですよね。その秘訣は?

N:ほぼ毎日外食となったのは、28歳で国会議員になってからです。暴飲暴食となる日も多く、さすがにこれはからだによくないと思いました。とはいえ、私は食べることが大好きです。出張先ではその土地の郷土料理やお酒も楽しみたいし、カロリーオーバーを理由に貴重なコミュニケーションの場である会食を断るわけにもいきません。そこで昼食をヨーグルトのみにするか、抜くかで、「2日間で総摂取カロリーをコントロール」することにしました。好きなものを食べるためのポジティブな節制です。
 
また、「野菜の食べ方」もかなり意識していますね。まず野菜から食べ、そしてたくさん食べる。自由に注文できるか、サラダビュッフェがある時は、一人で2〜3皿はいただきますね。親しい人からは「中田のバケツサラダ」と呼ばれています(笑)。
 
大きくはこの2点ですね。手前味噌ですが、詳しくは「忙しい人のための 死ぬまで太らないカラダの作り方」で紹介しています。

F:確かに食事をご一緒した時、驚くほどの山盛りサラダを最初に召し上がっていましたね(笑)。ところで、そもそも政治家を目指したのは何故ですか?

N:私はすごく単純なので、みんなが理不尽に思うことは変えればいいじゃないかと思うんですね。しかもその理不尽が世の中に溢れているんです。大学では経済政策のゼミにいて、そういったことを議論していました。そこで感じたのは、誰しもアイディアは言えるし議論もできる。でも方針を決めて仕組みをつくらなければ、物事は動かない。それができるのが政治だと思ったわけです。福井さんのすごいところは民間で仕組みをつくったことです。誰もが参加・支持できる仕組みをつくり、みんなが力を発揮できるようになっている。立ち位置は違いますが、間違いなく僕のアプローチと共通しています。

F:おっしゃる通り、正しいことを正しいと伝えるだけでは、なかなか人は動きませんね。中田さんはどのように改革を成功させたのでしょうか?

N:横浜市長時代、横浜市民の生活を最も変えたのは、ゴミの出し方でした。それまで粗大ゴミ以外は「分別無し」だったのを「15種類の分別」に改革しました。導入するまでに3年かけて市民に説明し、300万人以上がそれをやるのは無理だろうとも言われましたが、やったんです。地球環境のためといった崇高な理念を掲げたところで、ついてくる人は少ないでしょう。でも一人一人に善意があることを信じていました。自発的には分別しなかった人でも、「仕組み」をつくったことで分別するようになりました。分別を自分でするようになったことでゴミ問題は自分ごととなり、みんなの意識改革へとつながっていきました。結果、横浜市のゴミは40%も減り、その分の予算を他に使えるようになりました。
 
物事を変えるには、まず「仕組み」の構築が必要です。次に「成功事例」があると横に広げることができます。それが成功のポイントだと思います。

F:最後に抱負をお願いします。

N:私は健康志向です。自身のからだはもちろん、「世の中も健康にしたい」と思っています。国も地方も、経済崩壊・財政破綻が危惧されていますから、財政も健康にしなければなりません。私は世襲で政治家を宿命づけられた人生ではなく自ら望んでこの険しい道へ進みました。自分の損得を考えることなく、次の世代の不条理をひとつでも解き、サステナブルな社会にできなければ、私が政治家をやる意味はないと強く思っています。

中田宏氏 プロフィール
1964年9月生まれ。シンクタンク「日本の構造研究所」代表の傍ら、各地で講演活動を行う。「ウェークアップ!ぷらす」(日本テレビ系)など数多くのテレビ番組、YouTube「中田宏チャンネル」での政治・経済の分かりやすい解説には定評がある。青山学院大学卒業後、松下政経塾を経て28歳で衆議院議員に当選、通算4期務める。37歳で横浜市長に就任し、改革を断行して破綻寸前の財政を再建した。近著に「忙しい人のための 死ぬまで太らない体の作り方」(アスコム)、「外食力 ニッポンの未来を知りたければ『外食』から学べ!」など。20代のときと変わらぬ体型を維持しながらも、年350日が外食の日々を送っている。

撮影:竹内けい子(クローム)
取材・文:タナカトウコ