野菜ソムリエの思ひ出の味
母との会話を生む 栗拾い

2016年8月3日UP
 私が小学生だった頃、実家の畑のなかに大きな栗の木が1本あった。亡くなった祖母が植えたもので、品種などはわからない。毎年9月半ば頃になると大粒の栗が実り、それを拾いに行くのが私の役目だった。栗の木がある畑までは、家から歩いて5分ほどだ。少し離れた場所のせいか、近所の方も栗拾いに来られる。学校が休みになる週末まで待っていると無くなってしまうため、朝5時頃に起き出して拾いに行くのが常だった。長靴をはき、バケツを持って、まだ薄暗い道をトボトボと栗の木まで向かう。落ちている栗を探し、両足をつかってイガから栗を拾い出す。静かな早朝の畑でひとり黙々と繰り返す作業だった。

 実家は新潟県十日町市で、米や自家用に多品目の野菜を作っていた。母は田畑の作業や家事の他、農協にフルタイム勤務していたため、とても忙しい人だった。早朝の栗拾いは多忙な母を手伝うためにもひとりで行っていたが、拾ってきた栗は母が皮をむいて調理してくれていた。栗をむくのは大変だし時間もかかるが、「家族が喜ぶから」という気持ちで時間を割いて作業していたようだった。夕食の後、居間のちゃぶ台に新聞紙をひろげ、お湯につけた栗の鬼皮をひとつひとつ包丁でむいていく。その母の手元を眺めながら、他愛無いおしゃべりをした時間。いろいろな話を聞いてもらえて嬉しかったことを思い出す。時折、母はむいたばかりの栗を差し出してくれた。その生栗をかじるとほんのり甘みがあり、美味しかったことを覚えている。栗むきの時間だけは、ゆっくり過ごす時間がとれない母をひとりじめ出来た。今思えば、幼かった私にとって本当に大切な時間だったように思う。

幼い頃に栗拾いにいった畑は住宅街になり、大きな栗の木は無くなってしまったが、季節になると実家の裏に残っている木から拾った栗の実が届く。母からの荷物には、ひとつひとつ皮をむいた生栗だけでなく、きんとんや栗おこわ、さらに手間がかかる渋皮煮などまで入っていることがある。「家族が喜ぶから」という母の変わらぬ思いを今も感じられる瞬間だ。
 私も子供たちを10ヶ月くらいから保育園に預け、フルタイムの仕事を続けてきた。いつも一緒にいることが出来なくても、限られた時間のなかで家族や食の思い出を残したい。特別なことでなくても、大切な家族の風景を子どもたちの心に刻みたい。そう考えながら日々を過ごしている。

 幼い頃から野菜・果物はいつも身近にあり、それが当たり前のことだった。しかし、進学とともに親元を離れて生活するなかで実家での野菜の美味しさに気づかされ、野菜について知識を深めたいと思った。それが野菜ソムリエとなるきっかけだったが、資格取得後は母と農作業について話ができるようにもなった。また、料理が好きなのでこれまでは家族のために安心なものを食べさせたいとだけ思っていたが、今では新潟県産の野菜・果物や郷土料理など食を通じて「家族のつながり」「人と人とのつながり」をもっと深めたいと思い、レシピ提供やイベント企画・登壇など幅広く活動をするまでにもなっている。

後藤真弓さんのプロフィール
新潟県在住。野菜ソムリエ。アスリートフードマイスター3級、調味料ジュニアマイスター。Kushi Macrobiotic International Extension上級修了。醸しにすと。レシピ提供や子ども向けの簡単野菜講座等を通じて、野菜果物の魅力を「伝える」活動に力を入れている。周囲からは「大のお酒好き」と言われ、新潟の発酵文化についても勉強中。日本酒と合う野菜料理のイベントも開催している。

取材 / 文:野菜ソムリエ / ベジフルビューティーアドバイザー タナカトウコ