野菜ソムリエの思ひ出の味
父が好きだったトマト

2016年8月17日UP
 がんを患っていた父が他界したのは今から2年前、2014年のことだった。どんなものも「食べたくない。」と言っていた終末期、大好きなトマトだけは口にすることが出来ていた。
 入院当初は、ミニトマトやくし切りにされた大玉トマト一切れなどが病院の食事でも出されていた。父はトマトのなかでも特に大玉を好んでいた。しかし、しばらくすると口を大きく開くことが出来なくなってしまい、ミニトマトしか口に出来ない状態になっていった。病院で用意される食事は、父の食欲が落ちるにつれ、噛まなくてもよいやわらかいものだけになっていき、ついにトマトが出ることは無くなった。
 この頃の父は、いつ逝ってもおかしくない予断を許さない状況であった。徐々に食欲も落ち、病院の食事もほとんど口にしなくなっていた。主治医の先生も「本人の好きなもの、食べたいものを少しでも食べさせてあげて下さい。」と言って下さり、母は父の好物を作っては病室に持参していた。

 そんなある日、「何か食べたいものはある?」と父に聞いてみると、「果物が食べたい。」と珍しくリクエストがあった。私はスーパーに走り、父が食べられそうなカットスイカとブドウ、そして父の好物であるミニトマトを買ってきた。病室のベッドの傍らで買ってきたものを見せながら「何食べる?」と聞くと、スイカでもブドウでもなく「トマト」と父は答えた。
 もう起き上がることはできなくなっていた父の枕を少しだけ高くして、父の口にミニトマトを運んだ。父は口を数回動かし、ゆっくりと飲み込んだ。ほとんど言葉を発せなくなっていたにも関わらず、つぶやくような、でもしっかりとした声で「あぁ、おいしいなぁ。」と言い、嬉しそうに目を細めた。その目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。私はそんな父の様子を見て、胸がいっぱいになり涙をこらえるのに必死だった。「もう1個食べる?」と聞くと、父はゆっくりとうなずき、3個のミニトマトを食べてくれた。主治医からは食べられなくなったら長くはないと言われていたため、父が少しでもトマトを食べる様子を母も嬉しそうに眺めていた。

 この出来事は野菜ソムリエの一次試験直前のことだった。じつは当時、野菜・果物に対しては、身体に良い、健康のために野菜・果物を摂った方が良いという程度の認識だった。しかし、ほとんど食事を口にしなくなっていた父が、あの時ミニトマトを美味しそうに食べる姿を見て、生きているトマトのエネルギーを頂くことであんなにも活き活きとした表情になるのかと、野菜の持つ大きな力に改めて気づかされた瞬間でもあった。
 野菜ソムリエとなるきっかけは、実家の近くの日曜朝市でとても美味しい野菜を売っているにも関わらず売れ行きが芳しくない農家さんの姿を見て、何とかしたい…と思ったことからだった。資格取得後は、様々な農家さんと積極的にコミュニケーションが取れるようになり、野菜のことを聞いたり、畑にお邪魔したり、収穫のお手伝いをさせて頂いたりしている。企画・運営している料理教室では、実際に足を運んだ畑の様子や農家さんが苦労されている点などを伝えることにより「地元の野菜を知って食べてもらう」という新たな活動にも繋がった。今は、たくさんの方とのご縁が次々と広がっていることを感じている。

中島裕子さんのプロフィール
長野県在住。野菜ソムリエ。2014年に地元フレンチレストランのシェフ、農家さんと「地元の皆さんに地元の旬の美味しい野菜を届けたい」をコンセプトに地域団体を立ち上げ、地元の新鮮な野菜を販売する青空市場やマルシェの開催、旬の野菜を使った料理教室の企画・運営に携わる。料理教室は月1回の頻度で開催(メンバーと交代で)。この夏、地元NPOグループと連携し、県内外の子供たちに地元の旬の採れたて野菜を味わってもらうイベントを企画中。今後は、地元農家さんの思いを一人でも多くの生活者の方々に伝えられるような活動をしていきたいと思っている。

取材 / 文:野菜ソムリエ / ベジフルビューティーアドバイザー タナカトウコ