野菜ソムリエの思ひ出の味
幻のうぐいす菜

 私にとっての思ひ出の味。それは今から40年程前、まだ幼かった頃によく食べていた「うぐいす菜」である。うぐいす色のキレイな野菜で、大きさは小松菜ほど。白菜が小さくなって結球していないような形だったと思う。旬は確か、冬からうぐいすが鳴く頃。行商の農家さんがトラックで野菜を売りに来ていて、母はよくそこで購入していた。当時はポピュラーな野菜で八百屋さんでも見かけることがあったが、今はほとんど見かけることはない幻の野菜である。
 調べてみると、今は京都で一軒だけ作っている高級な野菜らしい。しかし私の記憶にあるうぐいす菜とは色と形が違うので、おそらくそれとは別物であろう。また、小松菜や小かぶを春蒔きして若採りしたものをうぐいす菜と呼ぶケースもあるようである。

 当時、うぐいす菜は頻繁に我が家の食卓に登場していた。さっと茹でて冷ましてから5センチ程度に食べやすく切っておひたしに、3センチくらいに切って他の野菜と煮るなどお味噌汁やうどんに使っても食べていた。味にくせが全然なく、苦くもなく、甘さを感じる野菜だった。
 病気の時には、野菜をいっぱい入れた煮込みうどんを母は必ずつくってくれた。その中にも、いつもより細かく短冊切りにしたうぐいす菜が入っていた。しっかりと煮込まれたうどんには、自然なとろみが出てうぐいす菜とよく合っていたような気がする。ほうれん草や小松菜も入っていて食べたはずだが印象は薄く、うぐいす菜の味の記憶だけが今も鮮明に残っている。それは、子どもが好むくせがなく甘い味わいと、大好きだった薄い黄緑っぽい色をしていたせいもあるかもしれない。
 私はそのうぐいす菜入りの煮込みうどんが大好きだった。旅行に連れていってもらった時に、保温ポットに入れられたそのうどんをよく食べていた記憶がある。子どもだったので何も考えずに食べていたけれど、ワガママを言って母を困らせていたのかもしれない。うぐいす菜の記憶には、甘く優しい母の味の記憶も重なっている。残念ながら、今ではまず見かけることはなくなってしまったが、思い出す度に心がほんわりと温かくなる。そんな存在である。

 母はとても優しい人で、今でも変わらず優しくしてくれる。母のようになりたいなといつも思っている。料理が好きで、パンもお菓子もいろいろ作ってくれた。私が料理の道に向かったのもその影響があるだろう。いろいろな料理を母が教えてくれたおかげで、私もいろいろな人に料理を教えたり、つくったパンを提供したりしているのかなと思う。

 9年程前から子ども料理教室を開催している。子どもに野菜の大切さを知ってほしいという思いから野菜ソムリエを目指すことにした。資格取得後、子ども料理教室では画用紙に絵を描いて旬の野菜や、仲間の野菜、どんな働きをしてくれるのかなどを見てわかるようにして伝えている。食べられない野菜でも、触ったり切ったりすることで食べられるようになる様子を見るのもとても嬉しい。共同で畑を借り、土作りから収穫までの経験もしてみた。野菜をつくることの大変さをほんの少しだが知ることができて、野菜を頭からしっぽまで大事に食べるようにもなった。今は、味噌や醤油などの発酵食品、煮干しや鰹節や昆布の出汁、日本古来の野菜、地元の野菜や和食の家庭料理など、昔からの日本の食を大切にしたいとも考えている。
 今後、野菜ソムリエとして食に関する色々なことを経験し、次の世代である子どもたちへとつなげていきたい。そのためにも子ども料理教室を続けていきたいなと思っている。

羽生 雅代さんのプロフィール
東京都在住。野菜ソムリエプロ。料理教室、喫茶店、コンビニ弁当の開発など、食に関わる仕事を経験。現在は自宅、市民センター等で料理教室を営むほか、八王子市のパン製造販売店「むしぽん」にてオリジナル商品を販売している。
ブログ https://ameblo.jp/riru69/entry-12341718216.html
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written by

タナカトウコ

/取材・文

野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
インスタグラム toko_tanaka