野菜ソムリエの思ひ出の味
父がつくってくれた「ナスの味噌炒め」

 幼い頃の私はとても食が細く、ごはん一膳を長い時間かけても食べ残すような子どもだった。料理好きだった父はいつも、その残ったごはんにバターを混ぜ、醤油をたらし、さらに別のお茶碗でふたをして、目の前でゴロゴロと振った。私はその様子に興味をむけ、小さなボール状になったごはんでやっと食べ終えられるという具合であった。父はそうやって日々手をかえ品をかえ、娘がたくさん食べるよう、食べたくなるよう、様々な工夫をこらしてくれていた。

 そんなある日のことだった。父がつくってくれた甘い味噌味の炒め物を私はいたく気に入った。食べるスピードはいつもの通りゆっくりではあったが、確実にいつもよりもごはんがたくさん食べられたのだ。その料理の正体は「ナスの味噌炒め」だった。当時の私はナスが苦手だったが、その料理にナスが入っていることに最初は気づいていなかった。素揚げされたナスはトロトロの食感で、油で炒めた甘味噌と、黒ごまの風味がとてもおいしかった。以来、「ナスの味噌炒め」は数少ない好物となり、この料理でなら苦手なナスもしっかり食べることができた。
 父がつくる「ナスの味噌炒め」は、ナスが私の一口サイズになるよう小さく切られていた。具材は、豚肉、ねぎ、黒ごまなどで、母のレシピとは少し異なるものだった。父は、黒ごまは炒る、ナスは鉄製の中華鍋で素揚げするなどの下ごしらえをしてから、調味料と絡め、いつも豪快に中華鍋を振っていた。恥ずかしがり屋の私は、父の様子をキッチンの外からそっと見つめ、うれしい気持ちは顔に出さずにいた。出来上がった熱々の「ナスの味噌炒め」を大皿に盛りつけると、まだ熱い中華鍋にごはんを入れてさっと混ぜる。そしてそれを“エサ”にニコニコしながら私を呼ぶのが常だった。正確に言うと私は、ナスの味噌炒めというより、炒めた“味噌”の味が好きだった。父にはそれがお見通しだったのだ。熱々のナス炒めと甘い味噌味のついたごはんをおいしそうに頬張る私を、父はビールを飲みながらうれしそうに眺めていた。その光景とあの味は、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。

 17歳の春、父が他界した。父との思い出は、『食』と切っても切り離せないものばかりである。食に興味を持つようあれこれ地道に仕掛けてくれたことは、今思うと父の食育だったのかな、と振り返る。おかげでこの頃にはよく食べる子に育っていた。父の生前、我が家では家族総出でよくうどんを打った。順番に足で踏み、長い麺棒で伸ばし、自分の好きな幅に切ってゆでてもらう。いつもは野菜がたくさん入った温かいつゆにつけて食べるのだが、ある時、大きな鍋の蓋を開けるとにょろにょろとたくさんのドジョウが入っていたことがある。酒を入れてまた蓋をし、暴れるドジョウ。慌てて蓋を手で押さえた感触も忘れられない。食べたことのない食材や、酒の肴になるようなもの、父の側で味見したこと。そんな幼少期の体験がきっかけで、私は今、食の仕事をしているのだと、いつも思う。そして父に感謝の念を抱く。

 大人になってからも何度となく「ナスの味噌炒め」をつくっている。しかし、いまだにあの味を再現することができていない。おそらく、父は「今日のナスはちょっと油多めで調理してみよう」とか「少し皮をむいてみよう」など、日毎に調整していたのだろう。野菜はどれも同じようでいて同じではない。レシピありきではなく、野菜とじっくり向き合い、大きさや形、その時の状態などをしっかり見極めるための努力が必要なのだ。さらに言えば、自分よがりにならないためにも、相手を知ることを大切にすべき行為だと思っている。

 野菜ソムリエ講座を受講したのは、夫の健康管理のためだった。その頃は会社員をしていたが、食の世界で頑張りたいと思うようになり、一念発起して退職。野菜ソムリエプロの資格取得が、私の人生を大きく動かすことになった。まずは、日本野菜ソムリエ協会でアテンドのアルバイト、地域のコミュニティに入会というところから始め、現在はマルシェでの対面販売や、料理家として野菜の知識を活かす活動なども行なっている。野菜を知ることは、料理だけでなく、畑も、農業も、流通も、様々なことを知る必要があり、日々学びだが、おかげで多くのかけがえのない方々と知り合うことができた。それらの出会いには感謝の気持ちでいっぱいである。今後は、自分のしていることが誰かの役に立つ、これが感じられるような活動をしていきたいと考えている。

牛原 琴愛さんのプロフィール
東京都在住。野菜ソムリエプロ。「旬」が分かりづらくなっている昨今、恵まれた日本の四季になぞって、はしり、旬、なごりなどを知ってもらい、旬に食べることの大切さとその食べ方をご提案。特徴を生かした食材の使い方、選び方や保存法なども、“知らないから知る”ことで、一人でも多くの人が野菜・果物に今より興味を持って、好きになってほしい。そんな思いで日々活動している。
ホームページ:http://kotoes-kitchen.com/index.php
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written by

タナカトウコ

/取材・文

野菜ソムリエプロ、ベジフルビューティーアドバイザー。薬膳や漢方の資格も複数保有し、「食」を軸に多角的に活動中。書籍に「日本野菜ソムリエ協会の人たちが本当に食べている美人食」「毎日おいしいトマトレシピ」「旬野菜のちから−薬膳の知恵から−」等がある。
ホームページ http://urahara-geidai.net/prof/tanaka/
インスタグラム toko_tanaka